国際関係と戦後史 −冷戦1

戦後史―冷戦(1945〜1991)


 戦後はWW2戦勝国であったアメリカとソ連の力関係が、多くの出来事に影響した時代であった。ここではその冷戦を概観する。冷戦は、三期に分けられる。それぞれの時期に戦争の危機と、それを克服しようとした反省が見られるのが特徴である。


1. 45〜55 東西対立の確立期


 西側: トルーマン共産主義に対抗する自由主義諸国を支援するとしたトルーマン・ドクトリンを発表した。トルーマン政権下の国務長官マーシャルは、西欧諸国の経済援助を目的として、OEEC(欧州経済協力機構)を設立、ギリシャやトルコを西側に組み込んだ。西側は軍事同盟として49年にはNATOを設立。この東側諸国に対する政治・経済・軍事の対策を合わせて封じ込め政策という。


 東側: 一方、東側はトルーマン・ドクトリンに対抗して、東側諸国をまとめ、共産党・労働者党情報局(コミンフォルムを設立。またOEECに対抗して経済相互援助会議COMECONを設立した。また軍事同盟として、ソ連を中心にワルシャワ条約機構を設立しNATOに対抗した。


政治 トルーマン・ドクトリン vs コミンフォルム
経済 OEEC vs COMECON
軍事 NATO vs ワルシャワ条約機構


 東西がそれぞれに政治・経済・軍事において同盟国を築く中で、ベルリン危機が起こった。第二次世界大戦後、ドイツの支配をめぐって、米・英・仏(西ドイツ支配国)vsソ連東ドイツ支配国)が対立した。48年、西側が西ドイツの通貨を統一すべく、通貨改革を行ったところ、ソ連がこれに反発して独自の通貨を発行し、同時に東ドイツ領内の西ベルリンを完全に囲い込んだ。西側は、東ドイツに囲まれて飛び地となった西ベルリンに空輸などで補給を続けて、東側の包囲に対抗した。軍事緊張は高まったものの結果的に軍事対立には発展しなかった。
 
 53年にスターリンが没したことで、ジュネーブ巨頭会談が開催され、東西冷戦は新たな局面に入る。