ニーチェ1 近代を破壊するニヒリズム

一般に近代思想とは、プラトンにはじまり、ニーチェの直前までの哲学のことを指す。“現代”思想を始めるニーチェのエッセンスを、『ニーチェ すべてを思い切るために、力への意志』(青灯社)から。


 ニーチェは近代哲学を破壊したといわれる。また危険な思想家であるともいわれる。それはニーチェが、近代哲学では当たり前とされてきた、道徳や「自我」を否定したからである。道徳がなくなれば、「なぜ、人を殺してはいけないのか」という問いに、「殺人も構わない」と答えることができる。このような思想を「ニヒリズム虚無主義)」という。では、そのニヒリズムはどういう思考なのかを見てみよう。 


第1章 ニヒリズム

 ギリシャプラトン(近代哲学に含まれる)は「イデア論」や「二世界説(背後世界説)」を掲げた。これは、人がイデア(idea 基準、定義、目標)や背後世界=神の世界に照らし合わせて、物事の善悪や良否の判断を下しているという説である。しかし、ニーチェはこのイデア論や背後世界説を否定する。このような考えかたは、弱者の理論だという。


 ニーチェは言う。弱者が強者に対してできることは、相手を理不尽だ、エゴの塊だと罵ること、つまり「道徳的に批難する」ことだけである。そして勝者は悪者で、我々こそが善い者なのだと考える。善悪に限らず、道徳と言われているものはすべて、弱者のルサンチマンRessentiment、すなわち「敵意、ねたみ、恨み」でしかない。弱者は、強者を道徳的観点から非難し、自分のプライドを必死になって保とうとする。この自己防衛を正当化するのが道徳なのである。


 道徳は弱者がプライドを保つために捏造した価値でしかない。そして、その道徳的価値を、崇高で侵しがたいものにするために生み出されたのが「神」であり「イデア」である。そしてその捏造を支持するのがキリスト教なのである。事実、古代のキリスト教は奴隷=弱者のための宗教であった。こうして、ニーチェは神の根拠を暴きだし「神は死んだ」と言ったのである。こうしてキリスト教「神」や「イデア」に依存する全ての価値がなくなった。この思想がニヒリズムである。


 ニーチェは全ての価値の根源にあるもの、「神」や「イデア」のほか、さらに「自我」も否定する。ただの細胞の塊である人間が、実態化した自由な思想を操る「自我」を持たないという(自我については後で詳しく述べたい)。「自我」は、「神」同様に、道徳的価値や倫理の根拠でアリ、近代哲学の基礎にあるものである。デカルトの「我思う、故に我あり」から証明される「自我」の存在は、ロックやヒューム、カント、フィヒテヘーゲルにまで引き継がれた。ニーチェが近代を打ち破るといったのは「自我」までも否定したからである。


 ニーチェは「神」や「自我」を否定するにとどまらない。ニヒリズムはさらなる破壊力をもってやってくる。