ニーチェ2 永遠の輪から逃れられない

第2章 永遠回帰


 ニヒリズムを時間軸に適用してみよう。つまり、善悪や良否といった考えを持たない時間が、ずっと続くのである。これは永遠に何もない状況である。ニーチェの考えによれば、目の前に起こっている一切の変化が実は見せかけであり、実際は同じことの繰り返しが延々と続いている。重要なのは、第一に「変化がない」こと、第二に「永遠に続く」ことである。これを永遠回帰思想という。


 永遠に変化のない日々が続くのだから、人間の営みにはゴールはなく、またー回性も持たない。一度きりの感動や、目的達成の喜びなど一切ない生が延々と続く。そうして、人は人生の意味を失う。人は何かを変化を期待するからこそ何かを行う気力がわく、にもかかわらず、ニーチェにかかれば、そんな変化は錯覚であり、誰でも永遠回帰から逃れられないのだという。*1


 ニーチェ自身もまたこの永遠回帰思想に苦しんだ。ツァラトゥストラはこう語ったでは、永遠回帰思想を飲みこもうとするニーチェが考えるツァラトゥストラの苦闘が描かれている。そこで彼は、時間は円環だという思想に取りつかれるのである。


 ニーチェをこの永遠回帰思想から抜け出させたのは、「大いなる正午」というヴィジョンであった。

*1:アルベール・カミュ(1913〜1960)はそうした不条理の世界を描いた。『シーシュフォスの神話』や『異邦人』などがそれである。